なぜ、神経細胞の集合体に過ぎない脳に意識が宿るのか?Neurotech の基盤である脳神経科学における最大の問題である。
今回は人工意識を通してこの意識の謎に挑む、東京大学の渡辺正峰先生にインタビューをさせていただき、今後の意識研究に対する展望を伺った。
偶然開けた脳科学への道
渡辺先生が脳神経科学を志したのは意外にも学部卒業後であったという。
高校時代は大統一理論や量子力学、相対性理論のような理論物理学に興味を持っていました。理論の根本的な部分に問題が残っているような科学に携わりたいと考えていましたね。学部は東京大学の工学部を卒業し、そのまま同学の大学院に進学しました。M2 から計数工学科の合原一幸先生の研究室に運良く紛れ込むことができて、そこから理論脳科学をしばらくやっていました。 その後、第二次ニューラルネットワークブームが終焉を迎えて、 蜘蛛の子を散らすように同世代の理論脳科学者 が少しずつ違う方向に進んでいったのですが、僕には実験をしたいという思いが強くあったため、カリフォルニア工科大学の下條信輔先生の下に留学しました。下條先生の下に進んだのは、Nature や Science のようなハイインパクト誌に対してずっとコンプレックスがあって、視覚心理学で“下條マジック”を学んで、それを解消したいという邪な気持ちもありましたが(笑) 下條研では視覚的意識の研究を目の当たりにして、意識に対して強く興味を持つようになりました。その後帰国し、最初は fMRI などの非侵襲脳計測を伴った実験を行っていたのですが、すすめるうちにやはり侵襲が必要であるとの思いが募り、ドイツのマックスプランク研究所にあるニコス・ロゴセシスに師事することにしました。 取り扱う対象は違えど、巡り巡って「意識」という、高校時代から科学的関心のあった”未解決の問題”にたどり着けたのはとても幸運でした。
意識のアップロードとは
渡辺先生は著書「脳の意識 機械の意識」において今後 20 年以内に意識のアップロードが可能であると述べている。 “意識のアップロードとは、人間の意識を機械に移植し、機械の中で生き続けることを言います。意識のアップロードが実現することの最大の利点は、不老不死を望む人や、何らかの原因により生きたくても生きられなかった人に、自分が望むまでの間生き続けられるという、究極の選択肢が開かれることであり、人類の生き方が根本から変わる可能性を秘めています。”
意識が機械へアップロードされた世界のイメージ (イラストレータ:ヨギトモコ MinD in a Device 社 HP より引用)
私のおいている幾つかの仮定が正しければ、20 年後に人間の意識をコンピュータへとアップロードする技術が実用化されてもおかしくありません。 しかも、これまで提案されてきたもののように、頭蓋から脳を取り出してスキャンし、デジタルコピーをつくるといったものではありません。それでは、死を逃れたいと考えている当の本人は、間違いなく死ぬことになりますので。
まずは、じっくりと時間をかけて機械と脳を連結し、意識がひとつのものとして統合された状態をつくります。次に、そのことを利用して、脳に蓄えられた記憶を機械の方に転送します。そこまでいけばしめたものです。 仮に私の右脳半球に脳卒中が生じたとしても、意識としては、左脳半球のなかで問題なく継続していくように、生体脳が終わりのときを迎えても、私の意識は、機械のなかで継続していくことになります。 ただ、20 年後の実現は、様々な条件が満たされたらという注釈付きになります。その条件には、技術開発の進展や研究設備の拡充などが含まれます。
意識のアップロードに必要な技術
意識アップロードのための策として、人間の脳半球に機械の半球を接続して、両者の意識を統合し、その後、記憶を転送するとのプロセスを渡辺先生は提案している。
脳の左右半球を連絡する脳梁に包丁を入れるかのごとく、独自の BMI を埋め込みます。これにより、左右の脳半球にそれぞれ宿る意識を統合する役割を果たしている神経連絡のすべてについて、個々のニューロンレベルで、情報の読み書きができるようになります。脳と機械の双方向のコミュニケーションが確立することで、機械半球の意識と生体脳半球を統合できるものと考えています。
Masataka Watanabe, "From Biological to Artificial Consciousness" (Springer-Nature), 2022
脳梁の真ん中に BMI を差し込むと軸索を切ってしまうので、そのことについては不安を感じられるかと思うのですが、軸索には再生能があります。例えば、複雑骨折のような大けがをしてしまった時にも元の筋肉に何センチも伸びてつながることができます。その後、リハビリをすれば骨折前のように手足が動くようになります。BMI 表面に IPS 細胞を付着させることで、軸索再生およびシナプス形成のターゲットの働きを担わせることを計画しています。 ただ、残念ながら、中枢神経系の軸索の再生能は高くありません。この問題を解決する必要はありますが、脳卒中の治療法として、大きな予算がかけられている分野にはなります。実際に解決されたところで、一気に意識のアップロードの実現が加速すると思います。
“Yet Another Allen Institute”がターニングポイント
渡辺先生が掲げる意識のアップロードを実現するためには、今後どのような条件を満たす必要があるのか。渡辺先生はその条件の一つに、ある研究所の名前を挙げた。
意識のアップロードを 20 年以内に実現するためには、まず最初の 10 年ほどで Allen Institute に匹敵する規模の研究所を設立する必要がありますね。
Allen Instituteとはシアトルにある神経科学の研究所である。設立者はマイクロソフト共同設立者であった Paul Allen であり、設立資金の 1 億ドルは彼の寄付により賄われている。
もしケネディがアポロ計画を発表していなかったら、60年代に人類が月に行くことなど夢のまた夢だったでしょう。アポロ計画があって、ロケットエンジンを始めとする宇宙技術はたった 10 年でとてつもなく発展したんですね。 20年後の意識のアップロードには、アポロ計画とは言わないまでも、相当の規模感の研究環境が必要になります。なので、百人規模の研究者とスタッフ、さらには、最新の実験装置を使えるような環境を整えるために、Allen Institute に匹敵する規模の研究所を早期に実現したいところです。もちろん、小さいところから始めて、そこで着実に成果を出すことで、少しでも早く“巡航スピード”に到達できればと考えています。 そのような環境で、サルの視覚的意識の研究に、10年ほどリソースを集中すれば、生体脳半球の機械半球の意識の一体化は十分実現可能だと思います。 ちなみに、この構想は従来のアカデミアの枠内には収まらず、産学連携が必須になるでしょう。それと関連して、意識のアップロードへと至る過程で、脳疾患や認知症の治療のための医療応用技術を世に出し、社会貢献していくことが重要になります。
意識のアップロードのため乗り越えるべき課題とは
意識のアップロードにおいて重要となる技術の一つに BMI(Brain Machine )が挙げられる。BMI は大まかな分類として侵襲型・半侵襲型・非侵襲型の 3 つに分けられる。
BCI の種類 (NeurotechJP blog「Neurotech の注目のスタートアップ 5 選」から引用)
被験者の心理的な要因から非侵襲での研究も多く進められている中、脳計測においてあくまでも侵襲にこだわる渡辺先生だが、侵襲での研究を進めていく上での問題点とは何なのか。
侵襲の 1 番の問題は病原菌の感染です。頭蓋骨に穴を開けて、そこから機械に有線で接続しているという方法をとっていると、傷口が開いた状態のままになってしまうので、病原菌が非常に侵入しやすい状態になってしまいます。 このままだと長期のヒトへの応用にはほど遠いです。そのため、BMI の“無線皮下封印”の実現を目指しています。通信を無線化し、電源とともに体内に埋め込むことで、心臓ペースメーカーやパーキンソン病の治療に用いられる脳深部刺激療法同様に、安全性を確保することができます。 脳深部刺激療法で、無線皮下封印がすでに実現しているのは、必要なチャンネル数が小さく、また、電気刺激専用の枠組みのため、脳の情報を読み取り、それを体外に伝達する必要がないためです。一方で、Neuralink 社の筋のいいところは、頭蓋に埋め込むチップ内でニューロンの発火検出を行い、多チャンネルから読み取ったニューロンの活動情報の大幅な圧縮を目指していることです。いわば、無線皮下封印の実現に開発リソースを大きく割いているのです。
意識のアップロードは何のため
意識のアップロードが実現されたとき、どのような変化が私たちの世界にもたらされるのか。意識が極めて主観的なものなため、簡単に想像することができないが、渡辺先生はどこを見据えているのだろうか。
僕のモチベーションの源流は、意識とは何なのかを解明したいとの思いになります。そのなかで「意識のアップロード」は、そこから生まれる副産物という位置づけになります。なぜ副産物として成立するかというと、意識の神経メカニズムの解明には、人工意識によるアナリシス・バイ・シンセシスのアプローチが不可欠であると考えるからです。生体脳を用いた実験は、その自由度が制限されてしまうことから、最終的な意識の解明には至りません。 人類は飛行機械を手にしていますが、もともとはレオナルド・ダヴィンチの残した数々のスケッチをもとに、実際に様々な形の機械をつくり、すくなくとも人力では飛ばないことを知りました。そこで大型の鳥類の滑空する姿に着目し、ようやく翼の湾曲が鍵であることを発見し、まずは無動力飛行に成功します。そこから流体力学が生まれ、最終的には、ライト兄弟の動力飛行へとつながりました。意識の科学も同様のプロセスをたどる必要があると考えています。 その場合、トライアル&エラーの繰り返しによって、ようやく意識の仕組みが解明されることになります。ここで重要なのは、「飛行機械を実際に飛ばしてみること」です。出来上がった機械の意識をテストする方法が必要になります。 人工知能がヒトの知能のレベルに達したかどうかのテストとして『チューリングテスト』がありますが、意識の場合、これは通用しません。見かけや振る舞いはヒトとみわけがつかないけれど、意識だけを持たない存在、いやゆる「哲学的ゾンビ」の存在可能性から、刺激を与えて反応をみたり、中の仕組みを調べるといった客観的な手法では意識の有無の判定はできません。
※チューリングテストとは アラン・チューリングが 1950 年に『Computing Machinery and Intelligence』の中で書いたもので、以下のように行われる。人間の判定者が、一人の(別の)人間と一機の機械に対して通常の言語での会話を行う。このとき人間も機械も人間らしく見えるように対応するのである。これらの参加者はそれぞれ隔離されている。判定者は、機械の言葉を音声に変換する能力に左右されることなく、その知性を判定するために、会話はたとえばキーボードとディスプレイのみといった、文字のみでの交信に制限しておく。判定者が、機械と人間との確実な区別ができなかった場合、この機械はテストに合格したことになる。
今後 Neurotech の世界が求める人材像
最後に、今後 Neurotech の世界がどのような人材を必要とするのか伺った。
まずは必ず動物実験を行う必要があるので、実験ができる電気生理屋さんが必要になりますね。vivo、vitro の両方です。また、得られたデータを分析できるような理論屋さんも必要になってくると思います。各々が包括的なスキルを備えているという状態よりも、それぞれの特化した専門的なバックグラウンドを持ち寄って協力してやっていくというのが良いのではないかと思います。 ただし、研究を統率するブレーンに当たる人は俯瞰的にすべてが見えている必要があるかと思います。 他国と比較しても脳科学に関しては日本は秀でた部分があると思います。というのもここまで本格的に脳科学研究を行う研究者がそろっている国はなかなかありませんから。最近では中国が台頭してきていますが日本の脳科学におけるプレゼンスはまだまだ十分にあると思います。
おわりに
今回は東京大学の渡辺正峰先生に意識のアップロードを中心とした、意識の解明に向けた研究の展望を伺った。意識のアップロードそのものはあくまでも方法論であり、意識の解明が目的にあること、そのターニングポイントとしてアカデミア外に研究所を設立することがあるなど貴重なお話を頂けたと感じる。
今後も意識研究の行方を注意深く追っていきたい。