日本ではまだまだ注目が少ない Neurotech だが、世界ではすでにいくつか Neurotech 関連のコミュニティが作られている。中でも最大規模のコミュニティがNeurotechXである。
現在 NeurotechX の Slack に参加しているメンバーの数は 6000 人にも及び、世界約 30 箇所にそのコミュティを展開している。
今回はそんな NeurotechX のサンフランシスコ支部である、Neurotech SF のリーダーを務めるMorgan Houghにインタビューさせていただき、オープンソースソフトウェアの開発に注力してきた彼のこれまでの経歴と、現在の Neurotech コミュティの運用について伺った。
幼少期から続くソフトウェア開発への情熱で、サイエンスの発展に貢献
1989 年にセント・ジョーンズ大学に入学した Morgan は、同大学でリベラルアーツを学んだものの、元々の科学への興味に加え、オックスフォード大学へ訪問したことがきっかけで、精神科医を志すようになった。当時のオックスフォード大学の医学部は、アメリカのような、医学部がすでに存在する国からの学生が入学することは難しく、彼は学部卒業後のプログラムでオックスフォード大学を目指すことにした。
そこで Morgan は精神科医に必要な MCAT と呼ばれるテストを受けるため、生物学や化学など、MCAT に必要な科目が学べる大学を探し、リード大学に入学した。リード大学では、甲殻類を対象とした神経生物学の研究をするなど、科学との触れ合いを楽しんだ。
また、Morgan は子供の頃からソフトウェアへの関心も高く、それはセント・ジョーンズ大学やリード大学に通っている時も変わらなかった。
子供の頃から、自分でプログラミングを勉強していて、セント・ジョーンズ大学では、アップルのコンピュータを学生向けに売っていて、サポートを行っていたり、システム管理者などをやっていました。 その後リード大学に入ってからは、生物学部のシステム管理者をやっていました。 というのも、科学系のソフトウェアに特に興味があったんです。 原義のシステム管理者というわけではなかったですが、コンピュータの管理をしていて、集団遺伝学の計算に使われるようなシステムのサポートなどを行っていました。
リード大学卒業後は、MCAT の試験を受け、結果はまずまずだったものの、オックスフォード大学には受け入れられなかった。そこで故郷であるヴァージニアでインターンを探すことにした Morgan は、ラドフォード大学の CBRAINS(Center for Brain Research and INformation Sciences)にて、当時スタンフォード大学の名誉教授であったKarl Pribrumの元で働くことを決めた。CBRAINS では主に、EGI(Electrical Geodesics, Inc)という会社の、高密度 EEG システムの試作品テストに関わった。これは Morgan にとって、うってつけのプロジェクトだったという。
Karl がくれた EGI(Electrical Geodesics, Inc)のシステムは、Mac の上で動くものでした。Mac の上で動くというのは、科学系の、特に高価な装置にしてはとても珍しいことだったんですが、元々 Mac のコンピュータの代理販売をしていたこともあり、自分にとっては馴染み深いものでした。 またこのデバイスは、うまく動かないことも多く、かなりのテストが必要でした。しかもハードウェアではなくソフトウェア側で問題がないことを確かる必要がありました。そういった点で、自分にとってはぴったりのプロジェクトでした。 結果としては中々の成功で、私はそのラボでのコンピュータマネージャーになりました。
画像: EGI の高密度 EEG
その後 CBRAINS を離れた Morgan だったが、しばらくすると EGI から声がかかった。彼らは Morgan が CBRAINS で彼らのプロダクトのテストを行っていたことを知っており、彼をソフトウェアテストのエンジニアとして雇うことに決めたのだ。
Morgan にとって EGI での経験は、Mac コンピュータなどを触れたということに加えて、認知科学のさまざまな研究室の人と関わることができたという点で、とても貴重なものだったという。
EGI の良いところは、研究所との関わりを重視していたことです。Mac コンピュータやデータ収集ボード、マイクロコントローラなどを触ることができたのはとてもよかったのですが、 それに加えて、たくさんの認知科学系の研究所と関わることができたのも楽しかったです。研究所に足を運んでサポートすることを許してくれたおかげで、さまざまな研究所がどのようなことを行っているのかを、実際に見ることができました。とても素晴らしい経験でした。
未来のオープンソースへの期待は確信に。NeurIPS での出会いがオックスフォードの道に繋がる
EGI に入ってから 2 年以上が経ったのち、MRIが研究手法として今後伸びるだろうと考えた Morgan は、EGI を去った。ソフトウェアには元々興味があったので、MRI に関する競合のソフトウェアは大方知っていた。中でも強かったのはCURRYやFreeSurferと呼ばれるソフトウェアパッケージだ。
1996 年、多くの人々は球体ダイポールモデルというものを行っていました。彼らが行っていたことは、頭に球体をはめ、その球体の中でダイポールモデルをすることで、頭蓋骨の内側と外側を表す同心球を得るというものでしたが、これは個々のユーザーに合わせた測定がされていませんでした。
それに対して当時最先端だった CURRY は、境界要素法と呼ばれる手法を用いて、個々の脳に合わせた MRI からのメッシュ作成を行っていました。 またそれだけでなく、有限要素法も組み合わせることで、精度も素晴らしかったです。あれは印象的でしたね。
当時もう一つ、FreeSurfer というパッケージが人気でした。FreeSurfer は Anders Dale によって、1990 年代の後半に開発されました。 彼が博士課程で研究していたのは、より精密に神経活動の場所を特定するための、個々の MR モデリングで、頭蓋骨の内側や外側ではなく、実際の皮質を測ることができました。 これによって、更なるコンピュータビジョンやパターン認識、メッシュ修正が可能になりました。
そうしたソフトウェアパッケージや、その後ろにいるエンジニアについて知るうち、Morgan はオープンソースが今後伸びるだろうという確信を強めた。
これらのソフトウェアがどのように動いているのか、またどのようにしてそれらが作られているのかが気になってくるようになりました。 というのも、そうしたソフトウェアを**再発明するようなことはしたくないからです。**またこうした理由で、オープンソフトウェアが未来だという確信も強まりました。
EGI から退職した 2001 年、実際に Morgan はCenter17というオープンソースプロジェクトを立ち上げた。当時アメリカは同時多発テロに見舞われ、テロに対する世界的な戦争によって引き起こされるトラウマや PTSD、鬱などの効果的な治療法に対するニーズが高まるだろうという予想から、生物物理学に基づいた神経精神病学の発展を支えるためのプロジェクトだった。
その後、カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校で MRI などに関わるラボマネージャーの仕事についた Morgan は、さまざまな研究者と関わったり、いくつもの会議に参加する機会を得た。そうして参加していた会議の一つに、NeurIPSと呼ばれる国際会議がある。
NeurIPS は今でこそ機械学習系の最も有名な会議の一つだが、Google などの大企業が目をつけるよりも先に、Morgan はその会議に参加していた。ニューロイメージングのワークショップに参加するために NeurIPS に行った彼は、その時ICA(Independent Component Analysis; 独立成分分析)と呼ばれる、当時の機械学習の人気手法についての講演をしていたStephen Smithと出会った。Stephen のプレゼンテーションに対して Morgan が質問をしたことがきっかけで話が盛り上がり、最終的には Stephen から、オックスフォード大学に博士課程で来ないかという誘いを受けた。
こうして Morgan は、長年の夢であったオックスフォード大学の院に通うことになり、そこではFSLという、MRI のオープンソースソフトウェアパッケージに関わった。オックスフォード大学卒業後も UCSF でボランティアを行ったり、NeuroDebianという神経科学研究のためのソフトウェアパッケージを提供するプロジェクトを受け継いだ、NeuroFedoraというプロジェクトを立ち上げ、NeuroDebian に足りないニューロイメージパッケージを作るなど、精力的にオープンソースの活動を続けた。
画像: NeuroFedora ホームページ
シリコンバレーマインドを受け継いだ NeurotechX との出会い
現在は NeruotechX SF のリーダーを務めている Morgan だが、NeurotechX 自体は元々、Yanic Royらによって立ち上げられた。Morgan が彼らと出会ったきっかけは、Indiegogoと呼ばれるクラウドファンディングのショーケースで彼らのピッチを見たことだという。NeurotechX に興味を持った Morgan は、元々 EGI の時に使っていたシステムの提供を申し出ることで、彼らのガレージを借りるようになった。
きっかけは、彼らの Indiegogo での初めてのショーケースを見に行ったことです。 NeurotechX は、EEG などのオープン化、民主化を目的とした、シリコンバレーマインドのようなものを持っていて、まさに私がやりたかったことをやろうとしていました。
そこで興味を持った私は彼らに、128 チャネルあってイメージングなどもできる、かつての EGI システムを提供することを申し出ました。 その結果、彼らが持っていたガレージを貸してもらうことができました。彼らはすでにいくつかのソフトウェアプロジェクトを立ち上げていて、EEG を用いた実験における、時間的情報や時系列データをどのように組み込むかといった問題に取り組む、CloudBrain と呼ばれるプロジェクトなどもありました。
こうして参加することになった NeurotechX との関わりは、Morgan にとって刺激的なものだったという。
自分にとっては子供のような年齢のソフトウェアエンジニアと一緒にいるのは面白かったです。彼らは私とは違って、新しいウェブライブラリを使っていました。 彼らは RabbitMQ という、ウェブ開発にはよく用いられるメッセージブローカーのサービスを使っていて、その RabbitMQ を、異なる人々の 32 ストリームの EEG を扱うのに用いるという発想などは、とても画期的なものでした。 私の場合はそういったバックエンドプログラミングに馴染みがないので、思い付いていなかったでしょう。
私はこういう人達からさまざまなことを学ぶのが好きで、これが可能なのも、San Francisco が世界をリードしている理由の一つでしょうね。 全てのことが自分にとっては新しく、たくさんのことを彼らから学びました。
Morgan が入ってからの NeurotechX SF は徐々に人が増え、以前 NeurotechJP でも CEO の Alex にインタビューした Neurosity 社の Notion という BCI デバイスの開発者や、大学院生などもガレージを訪れるようになってきていた。当時は、NeurotechX のスポンサーにもなっているOpenBCIという市販の BCI デバイスを用いたワークショップなども行われていたという。
現在はコロナの影響でオンラインのみでの開催となっているが、NeurotechX SF は数ある支部の中でも唯一、ほぼ毎週 hack night と呼ばれるイベントを行っており、その週の Neurotech にまつわるニュースの解説を行いながら、視聴者からの質問に答える配信をしている。
画像: 2021 年 11 月 18 日の NeurotechX SF 主催 Hack Night の様子。録画は Youtube 上で公開されている(https://youtu.be/izfW5RmGIzk)
オープンソース同様、真に価値のあるコンテンツがネットワーク効果によりコミュニティを形成する
Morgan は、オープンソースの思想を次のように語る。
例えば自分自身の困りごとを解決するとします。でももしそれが、それこそ neurotech のような特定の分野の問題も解決しているのであれば、それは他の人の困りごとも解決してることになりますよね?そうすることで、作った道具が、みんなにとって必要なものになるんです。 もしそんな道具を作ることができれば、人は自然と集まってきます。これはまさに FSL がやっていたことです。
FSL は SPM という、MATLAB のツールに対して、より便利な C++バージョンを作りたいと考えた彼らは、実際に作り、その結果、人々は彼らのツールを使うようになりました。これは他の分野でも同じことです。 Google も Amazon も Apple も Facebook も、同じことをしています。彼らは、どうすれば、必要不可欠なオープンソースツールを作れるかを考えています。 これは、オープンソースが利益を生むからではありません。 オープンソースを使って、賢い人々が 集まるネットワーク効果を生むことができれば、より多くの人が実際に利益を生むプロダクトを使ってくれるようになるからです。
この思想は、コミュニティ形成においても通ずる。
Morgan は、もし日本で NeurotechX のようなコミュニティを育てるなら、イベントにスピーカーやゲストを呼んだりチュートリアルを作成することが重要だが、その際にオープンソースと同じように、人々にとって本当に価値のあるスピーカーを呼べたりチュートリアルが作れたなら、ネットワーク効果が生まれ自然と人が集まってくるだろうと述べた。
スピーカーには当たり外れがあります。でも、本当にいいスピーカーを呼べたなら、それまでは 15 人だったところを、30 人がイベントに来るようになります。 そしてうまくいけば、そのうちの 2、3 人は、いつもくるメンバーになるでしょう。そうしてコミュニティを育てていくんです。 チュートリアルも同じです。まずは人々にチュートリアルというプレゼントをあげる。そうして初めて、定期的に来てくれるかもしれないメンバーを集められます。 そして一度そういう人たちが集まるようになれば、また別のチュートリアルを作って、今度はもっと良いものが作れるでしょう。
実は NeurotechX の Slack には、東京エリア限定の#_tokyo チャンネルも存在する。しかしながら、日本支部自体は作られていない。今後 NeurotechX TYO や NeurotechOSA などが生まれる日も来るかもしれない。
さいごに
今回は NeurotechX SF のコミュニティリーダーである Morgan Hough に話を伺った。
オープンソースの精神に基づき、ソフトウェア開発の側から科学研究の発展を支えてきた Morgan は、NeurotechX SF の運用を通じて、Neurotech コミュニティをますます盛り上げることに注力している。NeurotechJP も、今後日本の Neurotech コミュニティを盛り上げることに、少しでも貢献していきたい。